企業はいま、さまざまな領域で変革が求められている。
三井住友海上 社長の舩曵真一郎がWorld Road共同代表の平原依文を迎え、変革について語り合った。

ひとりの夢がみんなの夢になる 一言で夢を語ることの意義

舩曵

平原さんと共同代表の市川さんが企画された、世界201の国と地域の人々の夢を集めた書籍『WE HAVE A DREAM 201カ国202人の夢×SDGs』を読んで、率直にいいなと思いました。平原さんの発言から気づきや勇気を得たり、こんな生き方をしたりしようと、若い人たちに考えてもらいたい。

平原

この本は当初「I HAVE A DREAM」というタイトルだったのですが、この本に登場する共同著者の皆さんと一緒につくっているうちに変わりました。制作開始から半年で40カ国しか集まらなくて、どうしようかと、市川と焦っていました。すると、その40カ国の仲間たちが国境を越え、私たち世代の強みであるSNS上で、何か困りごとがあるのかと聞いてきたのです。そこで、実は人数が足りないから出版がちょっと先になるかもしれないと正直に言うと、「なんで早く言ってくれないんだ。みんなで一緒につくっているプロジェクトじゃないか。私たちは夢を語って終わりではない。この本を一緒に完成させ、世界中にいる誰もがお互いの夢から学び合える世界をつくることが夢なんだよ」と言ってくれたのです。40人全員が動いたら、一気に夢が集まり、あっという間に201の国と地域が揃いました。

ひとりの夢がみんなの夢になるのはこういうことなのだと思い、時代は「I」から「WE」にシフトしたと感じました。それで書名を『WE HAVE A DREAM』に最後の最後に変更しました。こういうお互いの夢を共有し合えることがすごく大事な世界になってきています。サステナビリティや気候変動に関しても、大きな一軒家である地球がもつ、限りある資源をどう循環させ守っていくのか。「WE」で考えないと解決できません。人と人とが手を取り合えば、どんな無理難題も乗り越えられると思います。

舩曵真一郎

舩曵

いろいろな場所に行き、いろいろな環境や人に触れることは、すごく大事なことですよね。実は私も、東京で生まれて東京で育って、東京のどこかの大学に行く。それでいいのかと疑問に思い、神戸大学へ進学することを決めました。海外に行けたらもっとよかったのかもしれませんが(笑)。

新しい場所で違う環境を求めることは、すごく重要だと思います。それは仕事も同様です。一つの会社のなかでいろいろな地域や職種を経験してほしいと思っています。無駄な経験はありませんし、自分で気づいていない価値に巡り会えるチャンスとしてとらえたほうがいいと思います。平原さんは、たびたび環境が変わっていますがどうでしたか。

平原

私は、小学1年生のときに出会った中国人の女の子が魅力的で、この子みたいに芯が強い子になりたいと思い、中国の学校に留学しました。そうしたら今度はカナダの国籍をもっている子に出会い、多様性を尊重する文化を学びたいと思いカナダに行きました。

日本人が私ひとりの環境でしたので、毎回、環境が変わるときは居心地が悪かったです(笑)。「〇〇人はこうだから」という固定観念から考えると何も進みません。常に目の前にいる人とどのようにして「いま」という時を共有し、新しい時間を築いていこうかと考えました。それが自分の思考の柔軟性にもつながっていて、誰と会っても、毎回ゼロから物事を考えることができます。目の前にいる人の話に耳を傾け、その人の国の文化を尊重することができるようになりました。

舩曵

そのような経験のなかで、コミュニケーションを醸成するとか、あるいは夢の実現の道筋を用意するといったような、いまの仕事の発想が生まれたのでしょうか。

平原

日本の教育を変えたいと思ったのです。選択問題から選ぶ教育ではなく、自らの力で考え、新たな選択肢を創り出していく教育を展開したいと思い始めましたが、本格的に取り組もうと考えたのは、東日本大震災のときです。

持続可能な未来へつなげていくために教育から日本を変える

平原依文さん

平原

メキシコに滞在していた2011年3月9日に、母から電話がかかってきました。父が病気で手術を受けるというのです。それで急遽11日に帰国。成田空港に着き、バスで東京に向かっている途中に地震が起きて、高速道路の上で動けなくなりました。高速を降りてヒッチハイクで病院まで行くことにし、車に乗せてくれたおばあちゃんが、いまの活動を後押ししてくださったのです。

そのおばあちゃんにメキシコから帰国したことを伝えると、「メキシコだったら知らない人の車に乗れた?」と聞かれたので、「危険だから乗れません」と答えました。すると、「そうだよね」と答えてこう言ったんです。「日本は、こんなに安心・安全な国として世界中から認められている。それは当たり前のことじゃないんだよ。わかっている?」と。私はわかっていませんでした。

舩曵

日本の素晴らしさをあらためて思い知らされたわけですね。

平原

ずっと海外がいい、海外の教育を日本にもってきたいと思っていたのですが、おばあちゃんから「もっと若い人たちで日本を変えてよくしてよ」と言われ、その言葉をきっかけに拠点を日本に戻すことにしました。社会に変化を求める前に、まずは自分自身を変え、変化を起こす。日本中の若い人たちに自分の軸を育む教育を広めることも大事ですし、社会貢献と企業成長の両輪経営をする企業を増やすことが持続可能な未来につながると確信し、起業しました。

舩曵

変えたい。変えないといけない。ハイレベルですね。

平原

舩曵社長も社長に就任されてから、大きな変革に取り組まれています。

舩曵

変革しなければならない動機は、このままじゃいけないという危機感からではありません。そもそも企業というものは変わっていかなければならないのです。私は、そういう経験をしてきました。

若い時には、世の中を変えるようなミュージシャンやファッションデザイナーに憧れたこともありましたが、この会社に入りました。この会社に入ったらちゃんとやらないと、人生において何も成果を残せないと思い、必死にやってきました。最初の20年間はずっと営業。当時はどの保険会社も、同じ約款で同じ商品を売っていました。そんな状況を変えたいと思っていました。

平原

変えるためにどのようなことをされたのでしょうか。

舩曵

ある保険代理店が業界を変えたいと考え、いままでの業界にない新たな事業のために会社を設立しようとしました。私は、そこに出資しようと考えたのです。社内ではハードルがすごく高く、なかなか決裁が下りなかったのですが、財務部門の当時の課長が「こういうことをやっていかないと、変われない」と後押ししてくれました。少額でしたが出資することができ、この事業の立ち上げにかかわれたことは、自分にとってすごくいい経験になりました。

若い人の挑戦を実現できる体制をつくる

舩曵

既存の秩序を変えたいという気持ちを生かせる環境をつくることは、経営者の役割の一つです。あのとき、応援してくれた課長がいなければ、あのような経験はできなかった。でもそういう人は少ないのが現実です。会社は、挑戦する気持ちを受け入れ、成就できるように運営することが大切です。「変われ」「変われ」とただ言うだけでは変革できません。誰かに言われなくても、変わりたい人は行動を起こしていると思っています。変わりたいという社員の気持ちが結果につながるように経営していかなければならない。それが、僕にとっての変革です。

平原

出資するにはいろいろなリスクがあったと思います。それでも舩曵社長は何とかかかわりたい、出資したいと思った。それを突き動かした理由は何ですか。

舩曵

2点あります。一つは、まだ誰もやっていない事業を応援することで、会社の利益に貢献できる。もう一つは、決まりきったルーティーンの営業作法からの脱却です。違う武器を手に入れ、お客さまに提案できるツールを増やせると考えたのです。

人がやっていないものを提供することは、業界の秩序を壊すことになりますが、お客さま目線であるのは間違いありません。それは、どんな仕事をするにも共通することだと思います。お客さま目線の新たな取組に挑戦することで、何物にも変えがたい喜びを感じることができました。

平原

舩曵さんは誰もやったことがないことに対する恐れはなかったのでしょうか。

舩曵

恐れはありましたね。恐れというのは、経験や年齢によって違ってくると思います。歳を取ると、経験に基づいてリスクが見えてくるので、やりたい気持ちよりもやりたくない気持ちが強くなる。私も40代、50代で当時の局面に立ったときに同じような行動ができるかというと、自信がないです。それは、知恵も経験もあるからです。

変革にチャレンジするには、若い時ほどチャンスが多いと思います。だからこそ若い人のそういう気持ちを実現できる体制を会社がつくっていかないと、変革を実現することはできないのです。

ただ保険業界は認可事業であり、社会に貢献することを大前提としているので、コンプライアンスが一段と求められます。人と違うことをやれば何でも先駆者になれるわけではありません。チャレンジする気持ちを社会に受け入れられるかたちにする。つまり、意志と知恵を最適化していく必要があるのです。

平原

私はこれまで怖いと感じることばかりだったのですが、自分が意思決定したことに対して責任をもつということだけはぶれずに続けてきました。はじめて留学するときに、空港で母に「これからは全部自己責任で」と言われました。「悪いことがあっても他人を責めず、自分が決めたからには自分で責任をもって」と。それ以来、何かをするときの判断軸としているのが、責任をもてるかどうかです。本当にその挑戦は責任をもつほどやりたいことなのかどうか。つまり、やりたいと思う気持ちがやりたくない気持ちを上回ったときです。

舩曵

仕事を進めていくなかで、今後変革したいと思うことは何ですか。

平原

いま、私は2つの会社を経営しています。WORLD ROADでは学生に対する夢教育を行っています。HIでは、企業や自治体に対するESGコンサルティングや研修事業です。どちらも私自身のパーパスである「社会の境界線を溶かす」を軸に志をもって取り組んでいることです。そのなかでも、特に責任をもちたいと思うのは、子どもたちに対してです。

普段学生と接していると、毎日気候変動に関するニュースを目にするので「自分たちが大人になったとき地球は残っているのでしょうか」と聞かれますし、ニュースで女性があまり取り上げられないのを目にし「女性はリーダーになれないのでしょうか」と質問されます。この景色を変えていかないと、子どもたちが幸せになれない。この景色を変えていくために、企業と一緒に企業のあり方を考えながらビジネスのやり方を変えていったり、組織内の体制を変えていったりしています。いま社会に対して不信感を抱いている子どもたちは多いです。その子たちがもっと明るく前向きに思える世界をつくりたいです。

大人になっても活躍できると思える土台づくりを

平原

学生に夢を聞いたら、すぐに答えられると、皆さん思われるかもしれませんが、必ず子どもたちに聞かれるのが、「どっちの夢?お金のための夢?それとも自分が社会のためにしたい夢?」。それにアイデアを考えるよう促すと、「このアイデアは合っていますか」と聞いてくるのです。アイデアなので、合っているも間違っているもないのですが、不安なのです。この不安を取り除き、失敗を許容し、挑戦できる環境をつくることが、いま必要なことなのです。

舩曵

そういうことを実現するために、どんなことができたらいいと思いますか。

平原

いま私の会社には、14歳から20歳のインターンが15人います。この子たちはみんな学生団体の代表等をやっています。そんなZ世代の子たちがいま企業に求めていることは「挑戦できる環境」「透明性のある経営」そして「社会貢献」だと思います。「会社は強みを見てくれるのか」「サステナビリティについてどの会社もいいことばかり言っているけど、どれを信じればいいのか」。この子たちが信じられる会社を増やしたいし、この子たちが社会人になっても自分らしく活躍できるような環境をつくりたい。

それを実現するために、学生たちが企業の経営陣にメンタリングを行う「リバースメンタリング」というかたちで入ってもらって、一緒に課題解決に取り組んでいます。企業側にも、アイデアはあってもリスクを考えると想定しづらいなど、いろいろと足りない部分があるので、いいアイデアのある人がサポートすればいいという考え方です。これをどんどん浸透させたいです。自分が大人になっても活躍していけると思える土台づくりを、特に大企業と一緒に取り組んでいきたいという思いを強くもっています。

舩曵

確かに会社に入るとチャレンジしづらくなるのは、その通りかもしれません。当社は「経営理念(ミッション)」「経営ビジョン」「行動指針(バリュー)」を定めています。それらは時代によって、どういう課題認識をもち、具体的に何をしたらよいのかを考えるためのものです。さらに、中期経営計画では「地球環境との共生」「革新的テクノロジー」「強靭性・回復力」「包摂的社会」の4つを取り組むべき社会課題としました。そうした社会に対するコミットメントを示すことで、社員にどう変革にチャレンジしたらいいかという価値観を示しているつもりです。

平原

価値観を示す以外に何か具体的な取組はありますか。

舩曵

どうしたら変革を実現できるかという手段を用意することが重要だと考えています。その手段は、やはりデジタルが最優先であり、デジタル領域を学ぶ環境を整えてデータサイエンティストを育成しています。また、保険業務では気象を予測できれば、リスク管理の実効性がさらに高まるので、気象予報士の資格を取得できるコース等も設けています。勉強しなさいと押し付けるのではなく、変革へのチャレンジを実現する手段として学びの機会を提供し、やってみたいと思う人に勉強してもらっているのです。

誰もが自由闊達に意見できる環境をつくりたい

舩曵

会社は利益を出していかないといけないわけですが、社員も同じ基準で利益を出すことを考えてしまうと、売り上げの目標だけが頭のなかを占めてしまいます。仕事は楽しくなければなりません。私はチャレンジすることで、その楽しさを社員一人ひとりに感じてほしいのです。

平原

営業の時代に、大手IT企業の担当をされたという記事を拝見しました。苦しいこともたくさんあったと思うのですが、営業を続けられた理由は何でしょうか。

舩曵

この会社は人と違うことを許容する度量があるなと信じていた。若い人にもやっぱりそのように思ってもらえるといいですよね。

平原

当時は新しい領域で、企業としてチャレンジしなければならないタイミングだったと思います。どのように違いを実行されたのでしょうか。

舩曵

それまでできなかったことを、できるようにしました。補償の幅を広げることや保険料を見直すこと等が、お客さまのためになり、社会のためにもなると。信念と情熱をもって行動することで、最後は会社も受け入れてくれました。

商品パンフレットを持って右から左に走り回るだけでは、毎日が変わらない仕事になってしまいます。そこにどう変化をつけていくかが大事なのです。

平原

どうすれば変化をつけることができるのでしょうか。

舩曵

どこに変化をつけると新たな価値が生まれるかを常に考えることが大切です。それには、情報力がものをいいます。いろいろな人に会う、違う場所に行くことで情報を得て、そしてたくさんの人と意見を交わすことがとても重要になってくると思います。

少なくとも当社のなかでは、自由闊達に意見を言える環境をつくりたい。それが本当のカルチャー変革につながっていくのだと思っています。

舩曵真一郎 SHINICHIRO FUNABIKI

三井住友海上 取締役社長
1960年生まれ。東京都出身。83年神戸大学経営学部卒業、住友海上(現:三井住友海上)入社。
営業企画部長、経営企画部長、東京企業第一本部長等を歴任。
MS&ADインシュアランスグループホールディングスグループCDO、CIO、CISOなどを経て、21年4月から現職。

平原依文 IBUN HIRAHARA

World Road共同代表、HI代表、Fun Group執行役員チーフ・サステナビリティ・オフィサー(CSO)を兼任。
中国、カナダ、メキシコなどへ留学後、早稲田大学を卒業。
ジョンソン・エンド・ジョンソンなどを経て2019年にWorld Road、22年にHIを設立。

text by Fumihiko Ohashi | photographs by Masahiro Miki | styling by Tomohiro Saito | edit by Akio Takashiro
大橋史彦 = 文 三木匡宏 = 写真 齊藤知宏 = スタイリング 髙城昭夫 = 編集