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女子陸上競技部の歩み

女子陸上競技部創設からこれまで

1991年

女子陸上競技部設立
企業の知名度・企業イメージの向上と、代理店・社員間の一体感の醸成を狙いとして、女子陸上競技部が創設されました。

1992年

女子駅伝チーム スタート
駅伝チームとしてスタートしたものの、この年のメンバーは5名だったため、残念ながら大会への参加は見送りとなりました。

1993年

「第4回東日本実業団対抗女子駅伝競走大会」に初出場
念願だった「東日本実業団対抗女子駅伝競走大会」に初出場を果たしました。
結果は16位で、「第13回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会」の出場権を得ることはできませんでしたが、将来への記念すべきステップとなりました。

1994年

「第5回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会」に初出場
「第5回東日本実業団対抗女子駅伝競走大会」で12位。
初の「全日本実業団対抗女子駅伝競走大会」出場を果たしました。
全日本での結果は23位でした。

1995年・1996年

1995年

「第6回東日本実業団対抗女子駅伝競走大会」8位、
「第15回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会」23位。

1996年

「第7回東日本実業団対抗女子駅伝競走大会」9位、
「第16回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会」12位。

1997年

「第45回全日本実業団対抗陸上競技選手権」ジュニア3000mで渋井陽子選手、秦由華選手がワンツーフィニッシュ。
市河麻由美選手が「ソウル国際ハーフマラソン」で優勝し、「ベルリンマラソン」では6位に入賞しました。
「第8回東日本実業団対抗女子駅伝競走大会」5位、「第17回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会」5位。

1998年

「北京国際駅伝」に渋井陽子選手が日本代表として出場し、1区5kmを走りました。
「リスボン・ハーフマラソン」(ポルトガル)で秦由華選手が日本ジュニア最高記録で4位に入賞しました。

1999年

「1999名古屋国際女子マラソン」で市河麻由美選手が2位となり、スペイン・セビリアで開催される「1999世界陸上競技選手権 セビリア大会」への切符を手にしました。
この年入社の土佐礼子選手は、「1999国際千葉駅伝」の日本代表1区を走り、日本チーム優勝に貢献しました。

2000年

女子陸上競技部快進撃!

「2000東京国際女子マラソン」で土佐礼子選手が2位となり、カナダ・エドモントンで開催される「2001世界陸上競技選手権 エドモントン大会」の出場権を獲得しました。
「第21回まつえレディースハーフマラソン」では、渋井陽子選手と坂下奈穂美選手がワンツーフィニッシュ。
5月の「第15回東日本実業団陸上競技選手権」で坂下奈穂美選手が10000m、渋井陽子選手が5000m、山本波瑠子選手がジュニア3000mでそれぞれ優勝し、8月の「2000北海道マラソン」は市河麻由美選手が優勝しました。
そして11月の「第11回東日本実業団対抗女子駅伝競走大会」で初優勝し、続く「第20回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会」では結成9年目にして初めて日本一の栄冠を手にしました。

2001年

「2001世界陸上競技選手権 エドモントン大会」女子マラソンで
土佐礼子選手が銀メダル獲得、渋井陽子選手が4位入賞

1月に開催された「2001大阪国際女子マラソン」で渋井陽子選手が、初マラソンにして世界最高記録を33秒更新(2時間23分11秒)し優勝。
そして8月12日(日)、 カナダ・エドモントンで「2001世界陸上競技選手権 エドモントン大会」女子マラソンが開催され、土佐礼子選手が銀メダルを獲得、渋井陽子選手が4位に入賞しました。この活躍により、日本女子マラソンチームは団体戦3連覇を成し遂げることができました。

2002年

「ロンドンマラソン」で土佐礼子選手が自己ベスト・日本歴代3位(当時)のタイム(2時間22分46秒)で4位に入賞しました。
「陸上カージナル招待」10000mでは渋井陽子選手が日本新記録(30分48秒89)を出し優勝し、「シカゴマラソン」では同じく渋井陽子選手が日本歴代2位(当時)のタイム(2時間21分22秒)で3位に入賞する等、世界を舞台に活躍。
また、「第13回東日本実業団対抗女子駅伝競走大会」で優勝し史上初の3連覇を達成しました。

2003年

フランス・パリで「2003世界陸上競技選手権大会 パリ大会」10000mが開催され、渋井陽子選手が出場。
また、女子陸上競技部が「第14回東日本実業団対抗女子駅伝競走大会」で優勝し4連覇、「第23回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会」で1年ぶりに優勝しました。

2004年

土佐礼子選手 「アテネオリンピック」で5位入賞
渋井陽子選手 女子マラソン日本新記録

土佐礼子選手が「2004名古屋国際女子マラソン」で優勝し、見事「アテネオリンピック」女子マラソン日本代表選手に選ばれました。
「アテネオリンピック」女子マラソンに土佐礼子選手が出場し、5位に入賞しました。
また「ベルリンマラソン」で渋井陽子選手が日本新記録(当時/2時間19分41秒)で優勝しました。
「第15回東日本実業団対抗女子駅伝競走大会」では大会新記録(2時間12分57秒)で5連覇、続く「第24回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会」でも大会新記録(2時間13分17秒)で2連覇を達成しました。

2005年

「第16回東日本実業団対抗女子駅伝競走大会」で優勝、大会初の6連覇を達成。
「第25回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会」でも3年連続・5度目の優勝を果たしました。
優勝回数5度は大会最多タイ記録となります。

2006年

「第110回ボストンマラソン」で、土佐礼子選手が日本人トップの女子3位でゴール。
「第17回東日本実業団対抗女子駅伝競走大会」で優勝、大会初の7連覇を達成。
「2006東京国際女子マラソン」で土佐礼子選手が優勝しました。
「第26回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会」は大接戦の末、2位となりました。

2007年

「2007名古屋国際女子マラソン」で大平美樹選手が初マラソンながら4位に入賞しました。
大阪で「2007世界陸上競技選手権 大阪大会」女子マラソンが開催され、土佐礼子選手が銅メダルを獲得し、中国・北京で開催される「北京オリンピック」女子マラソンの日本代表が決定しました。
「2007世界ロードランニング」では大ア千聖選手が自己ベスト(1時間08秒56秒)を出し7位でゴールしました。
「第18回東日本実業団対抗女子駅伝競走大会」では優勝、大会初の8連覇を達成し、「第27回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会」では大会最多の6度目の優勝を飾りました。

2008年

「2008大阪国際女子マラソン」で大平美樹選手が日本人2番手の4位に入賞。
また、「第92回日本陸上競技選手権大会」では女子10000mで渋井陽子選手が接戦の末に優勝し、同種目の北京オリンピック日本代表に決定しました。
「北京オリンピック」女子マラソンでは土佐礼子選手が25km過ぎにやむなく途中棄権となりました。また、女子10000mでは渋井陽子選手が17位でゴールしました。
「第19回東日本実業団対抗女子駅伝競走大会」で優勝し、大会初の9連覇を達成。
「2008東京国際女子マラソン」では渋井陽子選手が4位に入賞。
「第28回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会」では接戦の末、2位となりました。

2009年

「2009大阪国際女子マラソン」で渋井陽子選手が優勝、大平美樹選手が4位に入賞し、渋井陽子選手がドイツ・ベルリンで開催される「2009世界陸上競技選手権 ベルリン大会」の出場権を獲得しました。
また「2009東京マラソン」では土佐礼子選手が3位に入賞し、「2009横浜国際女子マラソン」で大平美樹選手が5位に入賞しました。
「第20回東日本実業団対抗女子駅伝競走大会」は4位で10連覇を逃しましたが、「第29回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会」では、大会最多7度目の優勝を飾りました。


2010年

「2010北海道マラソン」で山下郁代選手が5位に入賞しました。
「第21回東日本実業団対抗女子駅伝競走大会」で6位、「第30回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会」で5位に入賞しました。

2011年

「第22回選抜女子駅伝北九州大会」で初優勝しました。
また、渋井陽子選手が「東京マラソン2011」で4位、「2011北海道マラソン」で3位に入賞しました。






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