はじめまして、ライターの石川大樹(いしかわ・だいじゅ)です。
私は免許取得以来、20年以上一度も車を運転したことのない"完全”ペーパードライバーです。仕事柄、運転ができれば取材も楽になるのですが……いまさら怖くて乗れない、というのが正直なところ。
そんななか、運転中の危険シーンである「ヒヤリハット(危ない場面にあったが事故には至らなかったこと)」の映像データベースが存在するという話を聞きました。えっ、めちゃめちゃ参考にしたい……!
どんな映像を収集しているかというと……
こういうものです。確かに事故には至りませんでしたが、ドキッとするシーンでしたよね……。
ドライブレコーダーの映像からこのようなヒヤリハットシーンを抽出、蓄積し、交通安全教育などに利用しているのだそうです。
ドライブレコーダーといえば、SNSやメディアで、あおり運転や事故の記録がよく紹介されていますよね。万が一のことがあった際に証拠となる映像を残すための装置というイメージでした。それがこういった形で、事故防止にも活用されているとは。
そこで今回は、「ヒヤリハットデータベース」を運営されている東京農工大学の毛利宏先生と、同じ研究拠点でドライブレコーダー映像を使ってデータ分析をされている大北由紀子さんにお話を伺ってきました。
【お話を聞いた人】
毛利宏(もうり・ひろし)先生:東京農工大学工学部教授。毛利研究室では「ヒヤリハットデータベース」をはじめ、ドライブレコーダーから取得した映像データを分析し、交通事故の防止に活用する研究を行っている。ヒヤリハットデータはちょっとしたミスが取り返しのつかないことにつながる危険性を教えてくれると話す。
- ホームページ:毛利研究室
大北由紀子(おおきた・ゆきこ)さん:東京農工大学スマートモビリティ研究拠点ドライブレコーダデータセンターの産学官連携研究員。ドライブレコーダー映像によるヒヤリハット分析のスペシャリスト。ヒヤリハット分析は毎日が危険予測トレーニングのようだという。
- ホームページ:東京農工大学 スマートモビリティ研究拠点
【聞き手】
石川大樹(いしかわ・だいじゅ):編集者・ライター。読み物サイト「デイリーポータルZ」などで活動。ペーパードライバーなので、編集者として取材に同行するときは毎回ライターさんに運転をお願いし、気まずい思いをしている。
- X(旧Twitter):@ishikawa_daiju
- ブログ:nomolkのブログ
ヒヤリハットをどうやって集めるの?
早速ですが、ドライブレコーダーを活用した「ヒヤリハットデータベース」とはどんなものでしょうか。
タクシーのドライブレコーダーで記録したヒヤリハット(危険な状況)をデータベース化したものです。
データの収集地域は現在8ヵ所(札幌、秋田、宇都宮、東京区部、東京多摩、静岡、高松、福岡※)。2005年から運用がスタートし、20年目に突入しました。
※2024年4月現在
タクシーは地域の広範囲を走行するし、1日の運転時間も長い。そのため比較的短期間で大量のデータ採取が期待できるんですよ。
事故の記録といえば他に警察の調書をもとにしたデータ(交通事故総合分析センターが収集)などもありますが、ヒヤリハットデータベースは「映像が必ず残っている」ことが特徴だそうです。
どんな事故が起きたかという結果だけでなく、 なぜ起きたかの経緯、起きた後にドライバーがとった行動も残ります。映像は得られる情報が非常に多いんです。
また、事故未満の危険シーンまで収集している点も警察の調書との大きな違い。その数、延べ21万件以上。とても人力で集められる数ではないのでは?
急ブレーキを踏んだときや急ハンドルを切ったとき、車に衝撃が発生しますよね。それをもとに、自動でヒヤリハットか否かを判別しています。
映像と同時にブレーキやウインカーなどの物理センサーや運転操作のデータも記録しており、それを活用しているんだそうです。
ただし、車に衝撃があってもヒヤリハットじゃないケースもあります。ガタガタした道を通ったとか。
そこは人力で見分けるしかないんですね。大変!
しかし、本当に大変なのはこの先。一つひとつの映像をチェックし、事故の内容やドライバーの属性などのタグ付けを行うそうです。
この作業のおかげで、例えば「高齢者の自転車との出会い頭事故」のような細かい条件のヒヤリハットを簡単に検索することができるとのこと。
こうして蓄積したデータは、主に3つのことに活用されます。
- ヒヤリハットや事故の原因分析:情報が多いので、道路状況などの周辺状況やブレーキのかけ方などの運転行動を含め、さまざまな角度から検証できる
- 車の安全装置の評価研究:ABS(Anti-lock Braking System、アンチロック・ブレーキシステム)や衝突被害軽減ブレーキなどのASV(Advanced Safety Vehicle、先進安全自動車)技術の開発や、実際に搭載された後の効果検証に役立っている
- 交通安全教育:免許更新の際に見る講習ビデオなどにデータベースの映像が使用されている
ヒヤリハットデータベースをこの記事で初めて知ったというあなたも、もしかしたらデータベースの映像をすでに見たことがあるかもしれません……!
ヒヤリハットには「危険予知のヒント」が詰まっている
ペーパードライバーの私としては一番気になっている、ヒヤリハットデータベースから見えてきた交通事故防止の知見についてうかがいました。
そもそも交通事故ってどうして起こるのですか?
誰も事故を起こしたいとは思ってないですよね。なのになぜ起きるかというと、ドライバーが安全だと誤認してしまうから。安全と思っていたのに安全でなかったときに事故が起きます。
言い換えると、危険を見落としたときに事故が起きるということ。
では具体的に、ヒヤリハットデータベースの中から事例を紹介しましょう。 皆さんも何が起きるか予想しながら見てください。
【事例1】朝の住宅街
場所や時間帯にも事故防止のヒントがあります。
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答え:止まっている車の陰から子どもが飛び出してくる
近くには学校も保育園もあります。時刻は朝7時台で、子どもに限らず急いでいる人の多い時間帯です。死角に気をつけないといけない。
よく見ると前の車がブレーキかけてますよね。子どもがいることに気付いたのかもしれません。
【事例2】日中の住宅街
次は本当にヒヤリとする事例。
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答え:ボールを追って子どもが飛び出してくる
「ボールが出てきたら子どもが飛び出してくると思え」って聞いたことがありますか? まさにそのケースです。
子どもが飛び出してくる前に「飛び出し注意のマーク」が2ヵ所もあるんです。それに気付いて減速できるかどうか。もし脇見をしていたら大変な事故になっていた可能性があります。
【事例3】雨の日の一般道
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答え:スリップしたバイクが進路上に滑り込んでくる
短い映像ですが、たくさん予兆があります。まず左の店舗の駐車場から黒い軽自動車が出てきます。それを見てバイクがブレーキをかけたことがブレーキランプで分かるし、それと同時に後輪が浮き上がるのは、スリップの前兆です。
たとえそこまで細かいところに気付けなかったとしても、この映像から事故を回避しやすくするヒントを見出すこともできるといいます。
「路面が濡れているときにはバイクに気をつけよう」とか、「バイクの斜め後ろを走るときは少し距離を置く」とか。いろんなことを心がけるきっかけになる映像だと思います。
危ない状況には、やっぱり予兆があるんですね……。こういう予兆を知る教材としては最適だと思いました。
事例から見えてくるドライバーの癖や人間の性質
続いて、ドライバー側に問題があるケースをご紹介します。運転の良くないところを考えながら見てください。
【事例4】夜の交差点
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良くないところ:一時不停止で、安全確認をせず進行操作をしている
これはドライバーが交差点での一時停止をしっかりしていなかった事例。
ヒヤリハットデータベースのデータを確認するとスピードが完全にゼロになっていないんです。それに、衝突したときにはもう加速を始めている。こうした現象を「操作の先行」と呼んでいます。
教習所で「認知・判断・操作」という言葉を習いました。運転は、危険に気づき(「認知」)、どうしたらいいか「判断」し、車を「操作」することの繰り返しだということです。その認知や判断をすっ飛ばして、先に加速=操作をしてしまっているという例でした。
「止まれ」の目的は、安全確認して安全だったら進むということです。必ず「認知・判断・操作」を順番にやらないといけないんです。
【事例5】日中の見通しの良い交差点
次の映像も似たケースだけど、原因はちょっと違うかも。
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良くないところ:一時不停止。だけど……
これもちゃんと一時停止をしていませんが、車内の映像を確認すると、ドライバーは一応周囲を見渡しているんですよね。周りが見えているはずなのに、事故が起きてしまうこともあります。
特に右折や左折をするときに、こういった現象が起きます。
下の図を見てほしいのですが、これは右折時のドライバーの視線の動きを計測したものです。青線がドライバーの視線を示しています。
交差点に進入するときは広い範囲に意識が向きますが、交差点の通過~脱出時は運転の意識が1ヵ所に集中してしまいます。
先ほどの映像では、行き交う車の隙間を狙って左折するため、右側に注意が集中しているんですね。そして「しめた!」と思って前進したときに、気付かなかった自転車にぶつかってしまった。
このような事故を防ぐには、やっぱりしっかり一時停止することが大切です。
たった5つの事例を見ただけでも、ヒヤリハットデータが知見の宝庫であることが分かります。実際、こうしてヒヤリハットシーンを見ることで事故を起こしにくくなるそうです。日々映像を見続けているタグ付け担当のスタッフが事故を起こした話は聞いたことがないとか。
ヒヤリハットの映像を見ることで運転技術の向上につながる、と私は思います。
ただ講習のような場ではどうしても義務的になってしまう。もっと皆さんに興味を持ってもらえるように例えばゲーム性をもたせるとか、SNSでライトな解説付き動画を展開するとか、ドライバー教育の仕方も考えていきたいですね。
車の安全技術もヒヤリハットから生まれている
次はちょっと趣向を変えて、ASV(先進安全自動車)技術に関する事例を見ていきましょう。
最近の車には横滑り防止装置※が搭載されています。その開発のきっかけになったという2005年の事例。警視庁(東京都千代田区霞が関)の真ん前の交差点での映像です。
※VDC(Vehicle Dynamics Control)やESC(Electronic Stability Control)など、メーカーによって呼称が異なる
【事例6】霞が関を走行中
うわわわわわ!
こんなふうに街中でスピンした経験のある人なんて、ほとんどいないですよね。
過去に「全車に標準で横滑り防止装置をつけるべきだ」という議論になっても、映像がないと「それ本当に必要なの?」っていう話になってしまっていた。そんなときにこの映像が記録されたことで、「実際に横滑りによって事故が起きる」というエビデンスになったんです。
新機能の開発につながっているだけでなく、車に搭載されている機能の検証にも活用されているそう。
【事例7】日中の交差点
これは自動ブレーキが作動した事例です。映像の11秒のところがドライバーがブレーキを踏んだ瞬間ですが、実はその直前に少し減速しています。つまり、ブレーキを踏む前に車が勝手にブレーキをかけているんです。
車はもともと時速40キロぐらいで直進していましたから、自動ブレーキがなければもっと重大な事故になっていたはずです。
そのほかにもデータベースには逆に自動ブレーキなどが誤動作した場面の映像もあるそうで、そういったものはメーカーに資料として提供され、機能改善に役立てられるとのこと。
実はヒヤリハットデータベースはこのようにデータを技術に活用するために生まれたのです。もともとはASV技術の効果をリアルの交通環境で確認するため、国土交通省の要請で自動車技術会(学会)がヒヤリハットデータベースを立ち上げました。それが東京農工大学に移転されて、今に至るというわけ。
また、現在のヒヤリハットデータベースを活用できる対象は「運転支援の技術」がメインですが、これから自動運転車の時代になってくると、さらにそのデータの意義は大きくなってきそうです。
自動運転車の事故が発生したら「自動制御の技術に欠陥がなかったか」の検証が必要になります。ヒヤリハットデータベースは個々のドライバーに限らない、より社会的な面で重要な役割を果たすことになると思います。
事故を契機に普及してきたドライブレコーダー
データベースを支えているのは車に搭載されたドライブレコーダーです。国土交通省の調査によると、「車にドライブレコーダーを搭載している」と答えた人は53.8%※だそう。
※ 国土交通省「国土交通行政インターネットモニターアンケート 自動車用の映像記録型 ドライブレコーダー装置について」
一体どのように生まれた装置なのでしょうか。
1996年ごろに開発され、宅配業者の営業車で実証実験が行われました。市販品としては2003年に発売されたのが最初です。
開発者の一人がお子さんを交通事故で亡くされ、しかも裁判でお子さんの方が悪いことになってしまったんです。客観的な記録が残っていれば……という思いから、ドライブレコーダーが開発されました。
それが一般車へ普及し始めたのは2012年のこと。
2012年に京都の軽ワゴン車暴走事故があり、たまたま通りかかったタクシーのドライブレコーダーの映像がメディアで放送されたことから、一気に普及しはじめたようです。
痛ましい事故を契機に普及してきたドライブレコーダー。事故の証拠記録を残す以外に、社会に対してこんなメリットもあるそうです。
今後、ドライブレコーダー映像を分析した事故やヒヤリハットのデータ活用が広まれば、道路構造や車両システムの改善にも役立ち、さらに事故を防止することができるでしょうね。
また、交通事故による金銭的損失は年間で約3兆円にも上ります※。事故を防げれば効果も大きいんです。
ドライブレコーダーの選び方と注意点
最後に、毛利先生と大北さんに「ドライブレコーダーの選び方」を教えてもらいました。この2人の言うことなら間違いないはず……!
🚗毛利先生・大北さんがおすすめする「ドライブレコーダーの選び方」
- 解像度:高解像度(最低でも1080p以上)のものが望ましい
- 画角:追突やあおり運転までカバーしたい場合は、360度撮影できるもの。幅寄せなど、車の死角になりやすい側面から接触されたトラブルにも対応できる
- ダイナミックレンジ:明るいところ、暗いところが両方見られるようにHDR(ハイダイナミックレンジ)やWDR(ワイドダイナミックレンジ)と明記されたものを
- ディスプレイ:できれば映像を車両のモニターに映せるもの
ドライブレコーダーの最大の目的は、事故やあおり運転被害など「いざ」という時の証拠をしっかり残すことだと思います。
広範囲の鮮明な映像を記録できることに加え、夏場に車内が高温になるときでも動作を保証(記録媒体も含め)できるか、事故の衝撃時にデータがクラウドにアップロードされるものかなど、しっかり映像を残せるものを選びましょう。
また、ドライブレコーダーを使用する上での3つのアドバイスもいただきました。
🚗ドライブレコーダー使用上の注意点
- 映像を確認する:メモリカードは熱に弱いものもあり映像が記録できていない可能性もあるため、定期的にちゃんと映像が撮れているかチェックを。メモリーカードの容量によっては大事な記録が帰宅する間に上書きされ消えてしまうこともあるので、必要なときはすぐデータ保存することも大切
- バッテリーの消費をチェックする:駐車監視モードがある機種は、停車中も車両を監視してくれるが、そのせいでバッテリーが切れることもあるので注意する
- プライバシーの保護を意識する:「いい動画撮れたな」と思ってもそのままSNSなど公共の目に触れるところにアップしないように。映像にはどうしてもナンバープレートや歩行者の顔が写り込んでしまうので、公開したい場合は、車や人物が特定できないように加工をする
ちなみに、国産の一般的なドライブレコーダーの製品保証期間は、おおむね3年間。機器を設置してから3年以上経過している場合は、定期的に動作確認することをおすすめします。
また、ドライブレコーダーは最新機種ほど機能や映像の質が高いため、機器の使用開始から3年を経過している場合は、買い替えを検討してもよいかもしれません。
というわけで、たっぷり4時間もお話をうかがってしまいました……!
最初は「自分の運転に活かせそう」という気持ちでスタートしたインタビューでしたが、だんだん未来の交通安全をつくるための活動でもあることが実感として分かってきました。
その社会的意義の大きさたるや! 交通安全意識が高まると同時にテクノロジー好きとしても胸が躍るという、一挙両得の取材でした。
車を買うときは、ドライブレコーダーを設置したいと思います!
ドライブレコーダーが気になった方はこちらもチェック!
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- ▶ドライブレコーダー付き自動車保険|見守るクルマの保険
- ドライブレコーダー付きの自動車保険があります。事故発生時には自動通報でオペレータと会話できるので安心! サービスの特徴を動画でも紹介しています
撮影:関口佳代
編集:はてな編集部